2009年12月前半
2010年4月にクイーンズ美術館でグループ展に参加することが決まった。キュレーターの人との話で"The Curse of Bigness"というタイトルで、サイズがテーマらしい。私に話がきたときは2005年の広島現美での「象の夜」の様な大きいインスタレーション/造形を想像していたらしい。自分自身が何を作るか決める前にリクエストがきたときが一番嫌いだ。勝手にこういうものと定義されると、毎回違うことをやるのが好きな私は自分の自由を奪われたみたいでイライラする。
Early December 2009
In April 2010, I will be in a group show at Queens Museum. This show, "The Curse of Bigness" is going to be about sizes, the curator told me. When I was offered this opportunity, I was slightly expected to create a large installation, similar to "A Night of Elephants" an installation at Hiroshima City Museum of Contemporary Art in 2005. Since every time I have a show, I like making something completely new. Thus, when I was expected to make a certain type of work before I decided what to make, it felt like my freedom was taken away.

「象の夜」インスタレーション、2005年広島市現代美術館
"A Night of Elephant" a installation at Hiroshima City Museum of Contemporary Art
しかしここは依頼された作家、リクエストに反応して「象の夜」の制作過程で被爆樹木を広島市から貰い受けた時のように、ローカルの樹木を使うことをキュレーターに提案。早速キュレーター共々、美術館は美術館目の前の公園の樹木を管理する組織を調べた。"Strange Request"というメールタイトルでコレスポンデンスがいくつか行われ最後にこの人にコンタクトしてみればといったような内容のメールが来た。早速その公園の園芸管理組織、ニューヨークの市が管理するParks and Recreationsのアシスタント園芸師、ロナルドに電話をした。
However, I was asked to be part of this show for what I made under a curatorial theme. Therefore, I reacted to the curator's request or wish by presenting an idea that I would use locally pruned trees, much like when I used trees that survived the atomic bombing of Hiroshima for "A Night of Elephants." Soon after, the museum team started to research for an organization that takes care of trees in the park, Flushing Meadows Corona Park, which Queens Museum is located in. With the title, "Strange Request," email correspondences went on. At last, the museum sent me an email saying I should contact Ronald, an assistant horticulturalist of at Parks and Recreations of New York City. So, I gave a call.
いきなりの作家からの電話だったが、ロナルドは一応私のレクエストの内容を聞いてくれた。クイーンズ美術館はよく見に行くらしく、大変前向きな応答で、彼の仕事内容を説明してくれた。彼はこの2−3日はバラの剪定を行うらしく、剪定されたバラだったら私の作品の材料として調達できるらしい。これは思っていたことと違っていたが、大きな木は剪定できるか聞いてみた。ここでロンはもう一つの場所の存在を教えてくれた。それはCunningham公園と呼ばれるすぐ近くの公園のすぐ外にニューヨークで剪定された樹木を捨てる場所があるらしい。これには私は直ぐさま興奮した。今までの話ではバラの剪定されたものが素材となるはずだったが、Cunninghamからは大きな木が手に入るらしく、可能性がグンと広がった。電話での話はそこで終わり彼と会う日の約束を12月16日に決め電話を切った。
Though it was a sudden and strange request from an artist, Ronald paid attention quite enthusiastically as he told me that he likes visiting Queens Museum. He also told me about his job at the Flushing Meadows Corona Park. Over the few days, he would be pruning roses and he can supply me pruned roses for my materials. This was not what I had expected since I was envisioning larger materials, so I asked whether he could also prune trees. Then, Ronald told me about the Cunningham park. Behind the Cunningham park, there is a place where all the pruned trees of New York City are transported, dumped and chopped into pieces. Ronald told me I could take these pruned trees. This was an exciting news. Initially I was thinking of making work from pruned roses, but with trees from the Cunningham park, the possibility of my work grew so much more. After making appointment to meet Ronald on Dec 16, I hung up the phone.
2009年12月16日
早速朝8時にうちを出てクイーンズ美術館前の公園 Flushing Meadows Corona Park(というかFlushing Meadows Corona Park内にクイーンズ美術館がある)に着いた。ロナルドを探し公園内を歩き、Parks and Recreationsのスタッフが屯してる所へ行き、そこにいたおじさんに声をかけた。「ロナルドはいますか?」と、するとそのおじさんは「Mr.ヒロシ!」とうれしそうに握手を求めてきた。彼がロナルド、ニックネーム、ロンだった。彼は「こうしてMr.ヒロシのプロジェクトを手伝えることが人生で一番エキサイティングなことだ」と言ってくれたが、私もこのように喜ばれても少し引ける気もしたが、早速彼の剪定してくれたバラを見せてもらった。
December 16, 2009
I left my place around 8am and arrived at the Flushing Meadows Corona Park. I walked around the park looking for Ronald. I walked over to where the staff of Parks and Recreations were and asked a man where Ronald was. Then, this man with a big smile reached to my hands calling me, "Mr. Hiroshi!" He was Ronald (or Ron). Ron was so enthusiastic telling me that this was the most exciting thing in his life to help with my project, however, his over-excitement took me by surprise. Then, we went over to see the pruned roses he collected for me.

ロンが剪定してくれたバラ
The roses that Ron pruned.
バラをみたがいっこうに何も見えてこなかった。しかしそこは芸術家、「いいね、ありがとう」などと言いながらその場を流した。ロンは早速窓がないミニカーみたいな車で今後公園内の剪定できる樹木を見せてくれた。あちらこちらに見える樹木が垂れ下がった場所、茂み過ぎで公園の利用者に危ない樹木を、くまなくこれも切れるあれも切れると見せてもらった。その際ロンは「Mr.ヒロシはもうドローイングなどできているのか、何を作るか?」などの核心に迫る質問を興奮とともにたびたびしてきた。私はまだ一向に見えてきていない状況から苦し紛れに、「象の夜」の創作の話や、たぶん象か仏陀を作るなどとその場を凌ぐ発言をした。象という題材にはロンはさぞ興奮し、どのようにつくるかを質問してきた。私は、「象の夜」は象の形のおりを溶接で作りその中に樹木を入れたことを話をした。とっさに私は反射神経で、今回は多分、そのようなやり方でなく、形を作りその周りを樹木で囲むというやり方を定義した。これは本当にその場で出た苦し紛れの言葉であり実際本当にそう考えていたかは自分でもわからなかった。このような調子で公園の樹木ツアーは終わった。
実際、みた剪定される樹木達は、生存の仕組みから形が出来上がってる訳で、それは情緒があり大変美しくまた自然の強さを感じさせてくれるものであった事を感じた。このままで美しい状態を剪定しその樹木たちを新たに自らのエゴの形にするはずの芸術家の論理、私自信が非常に滑稽に思えた。
そこでロンはCunningham公園に木を見に行くかと行った。私は直ぐさま返事をした、そこでやってきたキュレータと一緒に皆で出かけた。Flushing Meadows Corona Parkから車で約15分の場所Cunningham公園に着いた。
今まで少し状況的に苦しかったのが本心だったがこの場所をみてすっかり気分が変わった。ここはいろいろと剪定された樹木が集められ粉々にされる場所、いわゆる樹木の死刑所でもあった。粉になった樹木はあたりをほんのりとよい木のにおいで包み、この木の粉をみた私はキュレータに、「これを使い、横たわる仏陀を作る事もできる」など言ったり無造作に集められている木をみて「これだこれだ」と、インスパーヤーされた芸術家を演じた。実はその場では、私の入るグループ展を扱うキュレーター以外にも、車の免許を持っていたためその場で運転する事を余儀なくさせられたもう一人のキュレーターも来ていた。そのキュレーターは私の2000年前後のナルシストな写真のコラージュの個展もみていたため車の中で、私の現在の作品がここまで変わった事を神秘的に感じるとさえ言い、少し私になぜなのかを説明してほしいみたいなムードになった。私の中ではかなりかっちりした論理でここまで変わってきたのだが、車を運転をする人に一つ一つ説明する状況が非常に苦痛に感じたため、「昔の作品を見てくれたんですね」とそちらの方に感動した振りをし話を濁した。そんな事もあったため、そこで切り落とされた樹木の数々をみた私たちに、私は今の私の作家としての醍醐味を演じる事にした。



私は察そうと恐れる事もなく樹木の中に入っていき、三脚を広げ写真に自身を入れどのようにこの樹木たちが大きいかをドキュメントした。何を作るか、どのように作るかなど決まってない事を全く表に出さず、さぞなれているように、まるで砂入スミッソンと言わんばかりの、過去にとらわれない現在の作家砂入を表現した。いろいろな思惑があったが、そこでみた樹木は大変美しかった。木々は立っているときは、いや、生前はこのように表面を真近にみる事はない、美しくても立っている木として見るだけで表面を注視する事はないが、切りたおれている木の表面は緑の苔がまるで蛇の鱗かのように見える。それがなぜか目に飛び込んでくる。これが苦し紛れにみた情緒であった。いろいろと可能性はかなり広がったものの、作るものが定かでないのは作家としては苦しい。いくら豊富でいろんな材料をそろえようとも何を作っていいかわからない作家は才能がない人以外なんでもない。そんな余念を繰り返しながらクイーンズ美術館に戻り、少し難しい思惑に陥った自分を落ち着かせたいため、公園内の樹木を写真にとるという理由にその日はキュレーターや、ロンとはそこで別れた。別れ間際に安心させようとキュレーターに「多分仏陀か象を作る」と言い放った。しかしキュレーターは私の苦難が見えたのか「そこまで結果に急がなくてもいいですよ」といい、拍子抜けな気分になった。



この写真は憂鬱な気分で寒い中を歩き撮った物だ。インスパーヤーされていない者は同何を見ようとも歓喜は訪れない。この木は美しいとか、「ハーン」と自分を感じさせようと歩きそして樹木を注視した。そのときはどうにか自分がインスパイヤーされますようにと言わんばかりに必死だった。
書き忘れたが、この日Cunningham公園に行く前、ロンとホームディーポ(米国の日曜大工店)に行った。ホームディーポに入る前、クリスマスの木を売る光景を見てロンがこういった。「Mr.ヒロシ、これを見てください、僕は30年園芸の仕事をしています、その私はこうやってクリスマスの為に切られ売られる松の木々を見ると、まるで死体を見てる気分になります。」と、それは私には壮絶な言葉だった。想像もした事もない気持ちでありそして、その死体達をこうやって見ているロンの気持ちをわかろうとした否や、ホームディーポの従業員が客にリクエストをされその場で松の木の幹を短く自動ノコギリで切っていた。何となくその光景を私は「そうだね残酷だね」と彼に言った。何となくそう感じる事をしてみたらそう思えてきた。これは今日一日で一番感じた事だった。
12月20日

1回目の樹木採集が終わり私は途方に暮れた。もうこれで情緒を完成している剪定されるはずの樹木達、うれしそうなロンの顔、クイーンズの樹木を剪定したからといって安易に過去の自分の作品をフォーミュラ的に再生するかもしれない私、とてつもなく大きく重いCunningham公園で見た樹木の幹達、そして何も語りかけてくれなかったあの日のFlushing MeadowsCoronaParkの樹木達、そして松の木のクリスマスの為の死体達、次々と頭の中でいろんな困惑が溢れ出し、私の体は寒さでか、こわばったままの日が続いた。ある日、若い日本人の作家の青年にクイーンズ美術館の話をし、少しばかり制作での面白さや余裕の語りをしていた自分、そんな空語りの中、ふとこんな言葉が漏れた、「今日は雪が降ってるから明日クイーンズに行ったら樹木は美しいだろうね。」若い作家はこう言った、「是非行ってみてはいかがですか?」
その夜は立花さんや斎木さん、横沢さんなどと、皆で遅くまで大騒ぎをした。葛藤からのストレスか、それとも何ヶ月も絶っていたコーヒー2杯が私をその夜のギャグの魔王に仕立て上げた。帰って寝たのが4時、しかし心ではFlushing Meadows Corona Parkに写真を撮るため出かける事を決めていた。朝7時半、なぜかすっきりと私は家を出た。
私は2005年の広島の作品作りから母の意見を参考にしている。実を言うと、2005年の正月、友達の結婚式にフロリダまで行っていた私はこの行事を母に言わずに出た。何回も私に電話をしたらしいが、その頃アジアで起きた津波に母は私が襲われたのではと心配をしていた。何もなかったようにフロリダから帰ってきた私は、母はこういった。「あんたが象さん作る言うけえ、インドに象見に行って津波に殺されたんかと思って心配しとった」と、私は自分が思っても見なかった母の発想に驚き、私は直ぐさま7月に広島で象を造る前にインドに象を見に行く事に決めた。このインドへの旅は私の象さん作りに多大な影響を与えた。象さん作りだけでなく言葉では説明できないほどの醍醐味を見せてくれた。こんな事があってから、私は信頼する者の発想を試す事にしている。てな事から今回の状況と苦悩についても母にメールをしたのだった。ちょうどその朝母からのメールを読んだ。そして、電車の中、母からのメールを思い出した。
「人間は生まれ自分の生活を謳歌しダビニ伏してまた土に返ります。象の母親は代々母親から水のある場所を教えてもらいそれを代々の子供に教え、砂漠のオアシスを探しあてるとか。博史の象のときは象の記憶力から広島では戦争を世界の人の記憶と して代々伝えるために被爆樹木を選び象の中にその樹木を飾り、記憶 としてずっと残すその意味が見た人に伝わったと思います。自然。草木それは人が必ず帰る場所となる処と思います。母親から生まれなにびとも皆自然に帰ります。生命の誕生は水、光、空気さえあれば、うまく言いあらわせませんが、自然と自分が一体に溶け込む心境、その清らかな心をといつも思っています。欲もさることながら草木全てに愛を感じる世界を発想し表現できれ ばいいと思います。それは一言で言えば愛だと思います。学問の究極は愛と思います。学校の入学式の時、校長先生が言われたのを聞き感激したことを思い出します。色々な行事をするのも、人々を喜ばしてあげようとする愛の発想と思えます。私の考えです。」 これが母の手紙だった。

こんな物もある、1939年のニューヨーク世界万国博覧会がこの公園で行われた時、当時ナチのドイツが米国に送った当時卐付きだった鷹がエンブレムの旗竿。
雪は枝の上にいろんな形で生き物のように這いつくばっています。

金のように光っていたプラタナス
この日は3時頃まで歩き回った。池のほとりは池の境目と雪のつもりがわからなくなっていて、危なくて歩けるどころではなかった。雪用のブーツの中に雪が入るまで、どうにかこの努力が天使の微笑みを与えますようにと言わんばかり、必要以上にがんばり写真を撮った。かなり厚着をしたせいか汗を背中いっぱいにかいた。寒さのせいか、デジカメの充電電池がなくなり始めた。これで切りがいいと何となく自分に言い聞かせた。睡眠不足と、冷えてきた背中の汗、そして最近困っていた喉の風邪が心配になり、近くなのでフラッシングに行きサウナに行く事にした。その日はサウナで汗をかきスッキリと帰宅した。やはりインスピレーションはこなかった。母の手紙をもう一度読み直したが、やはり同じだった。この日に公園に写真を撮りにいった事をロンに話すか迷った。なぜなら電話をすると次ぎにいつ樹木採集をするか決めないといけないからだ。どんどん気持ちが重くなった。どうする事やと、気持ちがあがらない年末年始が来そうな気がした。












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